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伝え方のお手本は尾崎豊からAdoへ。想いを伝える表現の変化

伝え方のお手本は尾崎豊からAdoへ。想いを伝える表現の変化

最近ブームになっているAdoの「うっせえわ」

YouTubeの再生回数は1億回越えています。日本人のほとんどが動画を見た計算になりますから、とんでもない再生回数です。

「うっせえわ」とキャッチ―な言葉で社会を斬り、不満をぶちまけているのですが、うっせえわのように社会を斬った音楽は昔から存在します。

なぜAdoがウケているのか、尾崎豊とAdoから、想いを伝える表現がどのように変化したかを考察してみました!

Adoの「うっせえわ」はライトノベルの表現

うっせえわの歌詞は「うっせえわ」「くせえ口塞げや限界です」と言葉単体がインパクト強くて個人的にはちょっと笑えます。

満員電車で口くっせえオヤジが目の前にいたら、ほんと地獄です。社会人じゃなくても、地獄を体験した方はたくさんいると思います。

はあ?うっせえうっせえうっせえわ
くせえ口塞げや限界です

うっせえうっせえうっせえわ
丸々と肉付いたその顔面にバツ

ネット上で「言葉が汚い」って感想を見たのですが、汚い言葉が悪い表現とは思えません。

おばちゃん世代に人気を誇る毒蝮三太夫さんは、ラジオ放送でインタビューをするおばちゃんに「おいババア」「汚ねえババアだな」「長生きしろよ、ババア」と口悪く言っています。

ですがおばちゃんたちは「ババア」と言われて、怒るどころか大声で笑って喜んでいるのですから。

うっせえわの歌詞はストレートな表現をしていますが、たまに小難しい表現が登場します。

クソだりいな
酒が空いたグラスあれば直ぐに注ぎなさい
皆がつまみ易いように串外しなさい
会計や注文は先陣を切る
不文律最低限のマナーです

あー分かる。空のグラスを見つけたらすぐに注ぎなさいって、言われたらダルイなと共感したところで「不文律最低限」と、なんだかちょっとカッコいい単語を使っています。

うっせえわは小中高生の口語に近い表現と、なんだかちょっとカッコいい単語を織り交ぜて物語としている、ライトノベル文庫のようだと思います。

尾崎豊の「卒業」は純文学のよう

Adoのような反体制的なミュージシャンは、長渕剛やブルーハーツ、尾崎豊のようにいつの時代にもいました。

尾崎豊の「卒業」には「夜の校舎 窓ガラス壊してまわった」とセンセーショナルな歌詞があります。Adoのうっせえわよりも暴力的で“ヤバイ”んじゃないかと思います。

行儀よくまじめなんて 出来やしなかった
夜の校舎 窓ガラス壊してまわった
逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった

この支配からの 卒業

ストレートな歌詞で学校を「大人の支配」と言い切り、当時の大人たちは眉をひそめました。ですが、若者たちは自分たちの代弁者だと歓喜しました。

卒業にはこのような歌詞もあります。

校舎の影 芝生の上 すいこまれる空
幻とリアルな気持 感じていた

放課後 街ふらつき 俺たちは風の中
孤独 瞳にうかべ 寂しく歩いた

丁寧な背景描写で、文学的な表現です。Adoのうっせえわにあった、なんだかちょっとカッコいい単語と構造は同じですが、単語ではなく数行に渡り情景を表現していますので、文学的だと思います。

Adoは社会に怒りをぶちかましているのか?

尾崎豊は10代の憤りのようなものを、美しく文学的に描いてメロディに載せています。

Adoは社会そのものへ怒りをブチかましているようです。

社会人が言う正しいって何よ?って文脈で、ルールで守られていた常識を、ポップな言い回しにより破壊しています。

女性が歌っている意味合いも大きく、歌詞に出てくる社会は昭和の男優先な社会で、女性は所有物だった時代です。その女性に歌わせることで、男社会への強烈な罵倒になっていると感じます。

年代に関わらず、男社会を快く思っていない人は手を叩いて喜ぶと思いますし、今の社会が居心地よければ、嫌悪感を抱くのではないでしょうか。

この構図は尾崎豊の卒業の時も同じで、学校で評価されている人たちは「卒業」に眉をひそめ、「輩」と笑っていましたし、評価の仕方や教育に疑問を持っていた人たちは、気持ちのいい歌と捉えていました。

尾崎豊とAdoは、社会に何かを訴える意味で同じ文脈ですが、訴え方が純文学的からライトノベル的になったのがポイントだと思います。

なぜライトノベル的な表現がスタンダードになったのか

音楽はもともと、音でなにかを訴えたり表現する手段です。音楽の授業で教わるクラシック音楽家の曲も、何かを表現したものです。

ですが、クラシック音楽は理解が難しい音楽です。ベートーベンの交響曲「運命」の出だし「ジャジャジャジャーン」は一般的に知られている一節ですが、「ジャジャジャジャーン」は運命がドアを叩く音を表現しているそうです。

そう言われたらそう聞こえる気がしますが、正直よく分からんと思う方も多いのではないでしょうか。

音楽の表現で他人同士が共感しあうのは、とっても難しいことです。

1800年代後半に活躍したロシアのクラシック音楽家チャイコフスキーは、反戦に意志を込めて「大序曲1812年」を作曲しました。

この楽曲は1812年のナポレオンがロシアに侵攻を表現しおり、チャイコフスキーは、本物の大砲を打つ演出で反戦の意志を示しています。

曲のクライマックスでドッカンドッカン大砲が撃たれて、ただ事ではない感が満載です。

「戦争なんて起こすな!」チャイコフスキーの意志は、非常に分かりやすいと思います。

チャイコフスキーの大砲は、Adoのうっせえわと同様の、ライトノベル的表現だと思います。

今のJ-POP、日本の音楽は尾崎豊の時代に比べると、クラシック音楽のように音数が増え、理論的で複雑化しています。ボカロPやKing GnuやOfficial髭男dism、米津玄師といった近年のヒットメーカーの楽曲を聞けば、それは明らかです。

音数が増えたBGMに、純文学的な歌詞が付いていると、難しすぎて伝わりにくくなります。ですがライトノベルのような軽い歌詞が載っていると、分かりやすくなります。

多くの人に想いを届ける表現方法として、ライトノベル的表現は、実は優れた方法ではないでしょうか。

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